「仕事が嫌だ。」という考えがあまり理解されない理由

僕はネット上にわざわざこんなブログを開設して仕事、会社、労働環境などに対する考えを書き連ねているが、このブログに書いてあるようなことはリアルの世界ではあまり理解されることはない。


仮にブログに書いてあるようなことを大勢の前で声高らかに主張したとしても、「甘えている。」とか「考えが甘い。」とか「社会人として失格。」といったお前はダメ人間だと言わんばかりの言葉が飛んでくるだけで終わってしまうだろう。相手がバリバリの社畜でなくて、飲み会などで「仕事が嫌だ。」という愚痴をこぼすような普通の人が相手であっても大抵はそのような反応であると思う。

この点について常々疑問だったのだけど、最近、自分の中でそれらしいと答えが出たので以下に書いていきたい。



おそらく、普通の人と僕とでは「仕事を嫌だと思う度合い」が異なるのだと思う。

「仕事は嫌だけど多少理不尽でも仕方がないものである。」として我慢できるレベルの嫌いなのか、「日本の労働信仰は絶対に許せない。」というを断固拒否するレベルの嫌いなのか、ということだけど、わかりやすく食べ物の好き嫌いで例えると、「積極的に食べたいとは思わないし味も好きではないけれどレストランで注文した料理の皿に載っていたらきちんと残さず食べることができる」という程度の嫌い(我慢できる)なのか、「食べたら吐いてしまうなど体が拒否反応を示す(生理的にダメ)ほど嫌いな味なので食べることができない」くらい嫌い(断固拒否)なのか、その違いだと感じる。

そもそもの嫌いのレベルが違うので、熱を入れてこのブログに書いているような調子で「仕事が嫌だ。」と言うと、「仕事が嫌なのはわからなくはないけどそんなに嫌なのか?」とあまり理解を得られないのだろう。

僕自身、嫌いな食べ物はあれど、「積極的に食べたいとは思わないけれど料理の皿に乗っていれば残さず食べられる」程度でしかないため、たまに「死んでも食べない。」というレベルで好き嫌いがある人(アレルギーは除く)がいると「何がそんなに嫌なのか?」と理解に苦しむが、おそらく仕事に関して言えば、普通に人にとっての僕はそのような感じなんだろう。



ただ、いずれにしても滅私奉公が前提の日本の労働環境は「仕方がない。」と我慢して良いレベルを遥かに超えていることは間違いないと思うし、「仕方がない。」と我慢している感じている人達にはその辺りに気付いて欲しいとは思う。



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