長時間残業や理不尽な職場環境が社畜を生むのかもしれない

今日で1月も終わりだけど、先月に引き続き今月も残業時間が80時間を超えた。こちらの記事にも書いた通り脳や心臓の疾患で死亡した場合、直前2~6ヶ月の残業時間が80時間を超えていると仕事が原因である可能性が高いと判断されるので、めでたく(もちろん自虐)過労死ラインをオーバーしたことになる。

そんな状況の中で一つ気付いたことがある。それは記事タイトルの通り、長時間残業や理不尽な職場環境が社畜を生むのかもしれない、ということだ。

今日、僕は日中仕事をしているときに「80時間/月の残業はキツいけど、30~40時間/月くらいだったらそんなにキツくもないし残業代で給料も増えるから良いかな。」と当たり前のように考えていた。僕は残業が大嫌いであるはずなのにおかしな話だ。

もちろん、次の瞬間には「僕は残業が大嫌いであるはずだ。」と、ふと我に返った。残業が大嫌いだからこそこんなブログを運営して日々記事を書き残業前提の日本社会に異を唱え続けているのだ。それなのに、たった一瞬だけでも「残業をしても良いかな。」なんて考えてしまったというのは僕にとってはかなり異常なことだ。にも関わらず、何故こんな思考に至ったのだろうか?

それは、理想と現実の溝を埋めるために僕の思考(理想)が現実側に傾いてしまったからだと思う。

僕の理想は”残業や休日出勤は一切なし。”なのだけど、現実は毎日残業三昧で休日出勤もありという理想には程遠い状況であり、しかも、暫くの間この状況が解決される見通しは立っていない。これでは理想と現実のギャップが原因で日々ストレスを貯めこむことになり健康に悪影響を及ぼしてしまう可能性が高い(というか、既にかなり悪影響がある)。そのため、無意識のうちに理想と現実のギャップを小さくしてストレスを少しでも減らそうという防衛機能が働いたのではないかと思う。その結果として、たった一瞬ではあったけれど、僕の理想が”残業や休日は一切なし。”から”30~40時間/月くらいの残業ならOK”に置き換わってしまったというわけだ。

僕は運良く残業容認の考えを打ち払うことができたけれど、もし、体が残業や理不尽な環境に少しずつ適応していくことに気付くことができなければ、最終的には「残業は当たり前。」、「理不尽な環境は当たり前。」という思考になって社畜化してしまうのではないだろうか。

労働者の健康管理や労働条件改善のためにも、また、新たな社畜をこれ以上生み出さないためにも、やはり働きやすい職場環境を整えることは非常に重要だということだ。



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